鬼平舌つづみ

鬼平にこんな料理を食べてほしい、そんな想いをこめた企画です。バックナンバーもどうぞ。

第22回 こはだの酢〆 蜆と芹の胡麻和え

お頭、肝の臓には蜆がいちばん!

こはだの酢〆銀地に黒のドット、こんな小粋な意匠でなければ、こはだという魚はもっとぞんざいに扱われていたのではないでしょうか。

「鮨は小鰭(こはだ)に止めをさす」といわれ、江戸前の握り鮨にかかせないこはだは、由緒正しき鮨ダネで、江戸時代の随筆『守貞謾稿』にも、握り鮨が始まったころの鮨ダネとして、卵焼き、鮑(あわび)、まぐろのさしみ、小鯛、白魚、蛸(たこ)などとともに、こはだの名があげられています。

ところが鬼平の時代には、まだ握り鮨がなく、鬼平犯科帳に登場させられなかった。池波正太郎氏は、いささか残念そうに以下のように書き記しています。

いまのような鮨はもっと後ですよ。あの頃は油揚げの、いわゆる〔お稲荷さん〕。その後で小鰭の鮨が出て来る。鬼平の頃よりかちょっと後になる。この小鰭鮨というのは白木の鮨箱をかついで粋な恰好で売りに来たものです。(『池波正太郎 鬼平料理帳』 文春文庫 1984年)

こはだは、このしろという魚の1年魚で、ニシン科に属し、いまでも東京湾で獲れる貴重な“江戸前”の魚種です。このしろは、漢字では魚偏に祭、あるいは魚偏に冬と書きますが、それは2月の初午の祭に、稲荷神社に供えた故事から来ているからとも、冬に美味いからともいわれています。

東京近辺では、体調15cm以上を〔このしろ〕、8〜12cm程度を〔こはだ〕、4〜5cmを〔しんこ〕といい、小さくなるほど値が高い。それどころか、成魚のこのしろは、武士の切腹の時に用いられたので「腹切魚」だとか、焼くと死臭がするとかいって嫌われたものです。子どものほうはというと、〔こはだの粟漬け〕になって、ちゃっかりお正月のおせちに入っていたりします。もっとも、「小肌」と書くくらいですから、肌の美しさは若いやつにかなわないわけで、まあ、アイドル・タレントと似たようなものと考えれば、若いほど喜ばれるのも、わからないではありません。

三枚におろして腹骨をすき、塩をあて、酢でしめるというのが江戸時代からの定法。「鮨は小鰭に止めをさす」というくらいですから、鮨職人がこはだにかける手間と情熱はたいそうなもので、それぞれに秘技、秘伝があるようです。思い入れもひとしおで、私の魚の師匠のひとり、阿佐ヶ谷で〔貴貫ずし〕(03-3313-6465)を営む渡部匠叙さんは、修業時代は数年間、包丁にさわらせてもらえず、こはだの下ごしらえをまかされるようになって初めて、鮨職人としての未来が見えたといいます。

ちなみに、しんこの握りに惚れて渡部さんのところに通うようになって17年、まったく飽きがこない。ときに青柚子の皮をすってかけたり、すだちの酢を1滴2滴落としたりして、変化をつけてもらいますが、行き着くところはシンプルな握り。こはだが江戸前鮨の原点というのがよくわかります。

蜆と芹の胡麻和えさて、次は蜆(しじみ)。これも江戸の名産品。いまは信じられないでしょうが、墨田区と江東区を南北に流れる大横川にかかっていた業平橋あたりが産地でした。元禄の頃にはすでに武蔵国、業平の蜆は、荒川の尾久の蜆とともに名高く、「業平橋蜆、中之郷、なり平橋の掘にて取ル、名産也」とあり、「大きさ小蛤ほどあり、風味甚だよろし、江州瀬田蜆名産といえども及びかたし」と『続江戸砂子』でも絶賛しています。小蛤ほどあったなんて、すごい!

「蜆よく黄疸を治し酔を解す」とものの本にあるように、蜆は昔から肝臓によいとされていました。良質のたんぱく質とビタミンB12が肝臓の働きを活発にするのを、昔の人は体験的に知っていたのです。

蜆は、味噌汁の実が一般的ですが、剥身とネギの酢味噌などもいい。池波氏も、鬼平犯科帳『墨つぼの孫八』のなかで、墨斗の孫八という盗賊が、浅草・今戸の料亭で酒を飲んでいるシーンに「葱と蜆の剥身をあわせ、酢味噌で和えた小鉢」を登場させています。

蜆の旬は秋から早春。江戸時代の『料理秘伝記』には、「十月より三月迄よし。此余の月はわるき香り出て悪しき故用いざるがよし」とあり、ことに、寒蜆を喜びますが、立春後のほうが、身も太って美味しいという声もあります。料理人・万作は、これに香り高い田芹を和えました。春の訪れを感じさせる一品です。

調理法

こはだは開き、薄塩をした後、さっと水洗いし、米酢に漬け込みます。ひょうめんが白くなったら、酢から引き上げます。

蜆は水から酒を少々入れ茹で、ざるにあげて身を取り、薄味の出汁に漬けます。田芹は水でよく洗い、さっと茹で、冷水であく抜きして、薄味の出汁に漬けます。煎り胡麻をよくあたり、砂糖、醤油で味を調え、先の蜆と芹を混ぜ合わせます。

料理人・万作

駿河の国は清水港の産。店のカウンターに長谷川平蔵を座らせて、鬼平好みの料理を勧めたいと包丁をとってくれた。年齢不詳。四谷・若葉町で隠れ家的割烹を営んでいる。メルマガで毎週のメニューを紹介するサービスもあります。
URL:http://www1.ttcn.ne.jp/~mansaku/


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